「ごんぎつね鍋でお母さんの死体を煮てる」小学生の国語力崩壊

現代の小学生の国語力が低下しているそう指摘する石井氏、兵十が葬儀の準備をするシーンに「大きななべのなかで、なにかがぐずぐずにえていました」という一文があるのですが、教師が「鍋で何を煮ているのか」と生徒たちに尋ねたんです。すると各グループで話し合った子供たちが、「死んだお母さんを鍋に入れて消毒している」「死体を煮て溶かしている」と言い出したという。

――どんな授業だったんでしょうか。

石井 この童話の内容は、狐のごんはいたずら好きで、兵十という男の獲ったうなぎや魚を逃してしまっていた。でも後日、ごんは兵十の家で母の葬儀が行われているのを目にして、魚が病気の母のためのものだったことを知って反省し、罪滅ぼしに毎日栗や松茸を届けるというストーリーです。

 兵十が葬儀の準備をするシーンに「大きななべのなかで、なにかがぐずぐずにえていました」という一文があるのですが、教師が「鍋で何を煮ているのか」と生徒たちに尋ねたんです。すると各グループで話し合った子供たちが、「死んだお母さんを鍋に入れて消毒している」「死体を煮て溶かしている」と言いだしたんです。ふざけているのかと思いきや、大真面目に複数名の子がそう発言している。もちろんこれは単に、参列者にふるまう食べ物を用意している描写です。
引用元:bunshun.jp(引用元へはこちらから)

 教師がいくら指導しても、彼女のなかには言葉がなく、自分の状況を客観的に捉えたり、なぜそれがいけないかも全く理解できていなかった。当然彼女がそのまま大人になれば生きる困難さを強く抱えますし、親になれば社会常識が欠如したまま子育てをして、負の再生産が起こります。

子供たちの国語力が身につきにくい要因
――問題の根深さを考えさせられる事例ですね。

石井 こうした国語力の低下は、実はよくしゃべる子にも当てはまります。乏しい語彙と短文で一方的な自己主張や好きなゲームの話とかはべらべら話すけれど、友達とのトラブルにならないよう相手の話を聞いて折り合うとか、周りに意思を伝えて物事を打開するとか、自分が生きやすくなる形で言葉を使えない子も多い。

 不登校児たちを見ていても、自分の気持ちを言語化できない子供たちの一方で、よくしゃべるのにどうしてこんなにメンタルが弱いの? と大人が戸惑うようなタイプもいます。どちらも生きる力と結びついた国語力を育めていません。
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ごんぎつね

ごんぎつね 中山の近くの山中に「ごんぎつね」という狐がいた。ごんはひとりぼっちだったが、畑を掘り散らかしたり、つるしてあるとうがらしをむしりとったりと、たいそういたずら好きな狐だった。 ある日、ごんは川で網をはって魚をとっている兵十を見かけ、こっそり魚籠に入れてある魚を逃がしはじめる。 最後にうなぎを逃がそうとした所で兵十に見つかり、首にまきつけたまま逃げ出した。 十日ほどたって、兵十の母親が死んだ事を知ったごんは、一人ぼっちになってしまった兵十に自分と同じ憐れみを持つと同時に、兵十の母親はきっと最後にうなぎを食べたかったに違いないとと思い、自分のしたいたずらを後悔する。 その後ごんは山の中でとれた栗やキノコをこっそり兵十の家に届け始めた。兵十は誰がくれたのかむろん分からない。 いつも届けられる栗やキノコは神様がくれたと思いはじめた兵十にごんは少し不満を感じたりもしたが、ごんはいつものように栗を届けに行った。しかし、ごんがこっそり入ってきた事に気付いた兵十に火縄銃で撃たれてしまう。ごんを撃って近づいた兵十は土間に置かれた栗に気付きびっくりする。 「ごん、お前だったのか。いつも栗をくれたのは」 ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずいた。兵十は火縄銃をばたりととり落した。青い煙が、まだ筒口から細く出ていた。

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